北海道ツーレポ(最終章)
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私が用意したツーレポ用のノートには、それ以上は何も書いていない。
少し書き足りないことがあると思い、再び章を起こした。
だいたい書き足しは言わずもがなのことが多いのだが、許して頂きたい。
 


 敦賀からのことを少し書く。

 日本海の彼方に夕日が沈みかけている。敦賀入港が間近になってきた。
幸いなことに雨は降っていない。すでに、降りたらすぐにそのまま九州に向かって走ると決めていた。

ともかく、走れば道は九州に帰り着く。
陸路700キロ。きついけれど、道が繋がっていることの有り難さをこれほど痛感したことはなかった。

ひたすら走れば10時間後には帰り着くはずである。
だが、どこから高速に乗るか、まだ迷っていた。

一つは敦賀からすぐに北陸道に乗り、名神、中国と高速だけを走るルート。
もう一つは来たときと反対に、下道を小浜まで行き、そこから舞鶴道に乗るルート。

名神高速についてはフェリーの中で滋賀県のライダーに聞いていた。
人口が多い都市を結ぶから当然車が多い。まして金曜の夜。
最近高速での事故の多いことも気になっていた。

言うまでもなく少しでも車に引っかけられれば即命はなくなるだろう。
そのことを考えるだけでもおぞましい。フェリーの中ではとぎれとぎれの眠りしか取れていない。
夜に入ったとはいえ、気温は高く、体力は奪われるばかりだろう。
フェリーを下りるまでは、少しでも安全な道を帰ろうと思っていた。


 フェリーのゲートが開く。滋賀のライダーに別れを告げ、発進。国道8号のバイパスに出た。

9時近いのにとても交通量が多い。
トラックに追いかけられながら走る。まだ体が慣れていないからか、そのスピードに乗れない。
これは下道の方が危ないかもしれないと感じた。

バイパスのトンネルを抜けるとすぐに北陸道の敦賀インターが見えてきた。
その瞬間、そちらの方に左折していた。無理をしない範囲で休み休み走っていこうと決めた。 

名神の多賀サービスエリアには宿泊施設と風呂と休憩所があることは下調べで分かっていた。
そこまで走って、先に進めないほどきつかったら明るくなるまで休んで帰ろうと思っていた。


 北陸道はまだ車は少ない。2車線だし、後ろさえ気を付ければ、ゆっくり体調に合わせて走れそうである。
米原まで30分ごとに休憩を取りながら走り、多賀サービスエリアに到着した。

ものすごい数の車が止まっている。このサービスエリアは今まで見た中で一番広かった。

宿泊施設はバイク置き場から歩いて2分かかった。その入口まで行ってみた。
風呂も同じ建物の中にあり、タオルを持った人たちが出入りする。
とてもゆっくり出来そうな雰囲気ではない。

バイクの所まで引き返して、自販機でたこ焼きとコーヒーを買い、空腹を慰めた。
また取り合わせが悪かった。コーヒーでたこ焼きは食べない方がいい。カレーパンもだ。
おまけにたこ焼きを1つ落としてしまった。


 走ろうと決めた。眠くなればどこかのパーキングエリアでそのまま寝ればいい。
そう思い出発した。だが1キロも行かないうちにその決心を後悔した。車の洪水に巻き込まれた。

高速ではバイクは弱者である。しかし周囲の車はそんなことはお構いなしだ。
昼間走る時にはそれほど恐怖は感じないが、夜は追突されるのではないかという恐怖と闘いながら走らなければならない。

前にも後ろにも神経を遣いながら走るのは本当に疲れる。
休もうと思ってパーキングエリアに入ったが、車が多く、寝るどころではなかった。

京都、大阪近辺では3車線になるが、その一番左端を走る。
比較的ゆっくり走っているトラックに追従しながら。 神経を張りつめたまま、神戸まで休まずに走った。


ようやく中国道に入ると、とたんに車が減る。安心して走れるようになってきた。
あとは自分が居眠りしないことだ。

車が少ないので、トラックを追い越す余裕が出てきた。
岡山、広島と県境を越える。山の中は霧が濃く、涼しいが視界が利かない。
60キロで走らなければならないような所もあった。

 ようやく山口県に入る。急に眠気に耐えられなくなり、一番近いパーキングエリアに入った。
ヘルメットをつけたままベンチに横になると、そのまま眠ってしまった。


 気が付くと1時間以上過ぎている。洗面所に行き、顔を洗い、髭を剃り、歯を磨く。
煤けた顔で帰りたくはなかった。すっかり明るくなった空を見上げ、休憩無しで家まで走ろうと決めた。

 ようやく見慣れた地名が見えてくる。あと1時間も走れば我が家だ。


 帰り着けばいろいろな現実が待っている。それはツーリングに行く前よりも重いかも知れない。
きっとそうだろう。
それを跳ね返す力が旅先で養われたとは思えないが、一人で過ごした北海道での経験が、
心のどこかで良い力として発酵し、少しは前よりも人に優しくなれるかもしれないと感じていた。



 関門橋が見えてきた。(完)

 追記:

 まず、妻は1週間入院して検査受け、無事に退院しました。
全快するような病気ではなく、一生付き合っていかなければならないようです。

これからは私のいろいろな意味での手助けが必要になってきます。
出来うる限りそうしてやりたいと思っています。皆さんとの付き合いが悪くなるかもしれませんが、ご容赦ください。

次にいろいろな励ましをくださった皆さんに改めてお礼申し上げます。
ツーリングをしている時も、このツーレポを書いている時も、皆さんが後押ししてくださいました。
おかげでツーリングもレポートも完結しました。本当に有り難うございました。



おしまい!