北海道ツーレポ(帰心) 6時起床。昨夜はビールを3杯と酒を一合くらい飲んだ。北海道に来て最高の量である。 おかげでぐっすり眠れた。 昨夜は6人部屋に4人だった。 神戸の青年とデンマーク人、それと熊本出身のセロー乗り。 この人は今名古屋に住んでいるということだった。 他の3人はまだ起き出す気配がない。外でタバコを吸っていると、もう出発している人がいる。 バイクを置いて、利尻島に渡るという。 歩いていける所にフェリーターミナルがあり、始発は6時ごろだ。 日帰りも可能ではあるが、出来ればバイクも一緒に渡したい。 この一人旅も最終段階に近づいてきた。 最北まで辿り着いて、あとは南下する一方である。 ということは家の方向に走り続けるだけということになる。といっても遙か彼方ではある。 引き返すとなると、何となくほっとする気持ちも涌いてくるようだった。 旅に出たいと思う気持ちも自分から涌いてくるものだし、帰りたいと思う気持ちも自分のものである。 帰る所があるから旅に出たくなるのであろう。帰るところがなければ放浪だ。 私の旅などは放浪の真似事に過ぎない。その真似事の鍍金が剥がれてきはじめたようだ。 天気予報を他のライダーや客と一緒に見る。 道北は熱帯低気圧の通過で1時間に40ミリくらいの雨が降る可能性があるという。 中国地方に大雨を降らせた台風10号が北上して、低気圧になった模様である。 早々に支度をして出発しなければと思っているうちに雨が降り始めた。 幸い屋根があるので荷物は濡れずに積むことが出来たが、この雨の中を走らなければならないと思うと憂鬱になる。 1時間に40ミリの雨というのはどのくらいなのか。 今までの経験と照らし合わせて考えてみる。だが、どう考えても降る時は降る。覚悟を決めて朝食を摂る。 朝食の時、前に座ったのは札幌から自転車で来たという父娘だった。 3日間で300キロ以上走ってきたらしい。 娘は小学校6年生だというが、「年よりも幼くて」と父親が言うとおり、小柄でかわいい。 私にも2人娘がいる。 もう大人になって働いているが、そういえば私の後をついて回ったのは小学生までだったと思い出す。 この父娘が羨ましかった。 子どもが成長したお陰で一人でこのように北海道まで来ることが出来たのではあるが、 帰らない月日に対する感傷が、少し私を浸し始めている。 「稚内を出発します」と女房にメールを送り、昨夜の青年に見送られて、バイクを発進させる。 デンマーク人はまだ夢の中らしい 。何時のフェリーで利尻に渡るつもりか知らないが、のんびりしている。 今日は朝から上下ともカッパを着ている。 どこで降られてもいいように荷物にもカバーを掛けた。 稚内市内は小雨。道は勿論水浸しである。前方をトラックが塞ぎ、轍にタイヤを取られて走りにくい。 昨日通ってきた道道106号を逆に辿り、日本海側に出る。サロベツ原野だ。 今日は利尻島は雲の中で全く見えない。昨日こちら側に来ていて良かったと思った。 106号は「ライダー憧れの道」とマップルには書いているが、もうこのような道に慣れきってしまったからか、 それとも疲れて感性が鈍くなったのか、特別な感動はない。 ただ、車は殆ど通らず、真っ直ぐな道が延々と続いているのが見える。 それよりも何よりも、腰と足の付け根が痛くて我慢出来なくなってきた。 路肩が広くなっている所にバイクを止め、カッパとジーンズを下げて尻を半分出し、湿布薬を貼った。 幸い一台も車は通らなかった。 サロベツ原生花園に行った。予想に反して、雨も降らず、薄日が差してきた。 ここの駐車場も砂利が敷かれていて、止めにくい。 観光バスが次々とやってきて、客を吐き出し、ガイドが木道を引率して草花について説明する。 バスから降りてきた観光客のおばさんが(といっても私と同年配)「これは何の花ですかね?」と感動した声で聞いてくる。 何のことはない。クローバーの赤い花だった。 北海道ではどこでも見かけた。私でもそういうことはあるが、感動したいという気持ちが心の底にある時は、 ほんの小さなことにも感動することが出来る。一生がそのように過ぎていくなら幸せなことだろう。 原生花園にはほとんど花はなかった。 擬宝珠のような花やハマナスの赤い色が目立つくらいであった。腰痛がピークに達して、歩くのも苦痛になってきた。 いいかげんに見物を済ませて出発しようとすると、昨日同室だったセロー乗りが丁度やってきた。 「天文台のあるキャンプ場があるって聞いたんですけど、どこですかね?」と訊く。 「今まで通った所にはそんなものはなかったようだけど・・」と答える。 出発はしたものの、すぐにまた腰痛が襲ってくる。おまけに眠くなってきた。 昨夜はけっこう眠ったはずなのに、どうしてだろうと思う。 旅も10日目。その疲れが溜まっているのだろう。 この道沿いのバス停にはすべて小屋がついている。 冬の間、厳しい寒さから逃れるための待合室だ。 今は使う者もなく、荒れている。 大きいのと小さいのがあり、大きいものは中に自転車が5台くらい入るくらいの広さである。 ベンチもしつらえられており、横になることが出来る。 いざというときには夜眠ることも出来るだろう。 その中でしばらく眠ろうと思った。これがいいと思って、バイクを止め、中に入って横になった。 湿布が効いてきたのか、幾分楽になり、20分ほど眠ったお陰で眠気も収まった。 マップルで温泉の位置を確認した。 天塩に「天塩温泉夕映」というのがある。温泉で腰を温めようと思った。 少し走ると風力発電のプロペラが並んでいるのが見えてくる。 あとでマップルで確認すると、28基あるらしい。 あちこちで風力発電のプロペラを見ることが多くなったが、こんなにたくさんのプロペラを見るのは初めてである。 天塩温泉によってみた。しかし駐車場には入りきれないくらいの車が止まっており、 混雑していそうだったので、Uターンした。 天売国道を南下し、富士見ヶ丘公園の横を過ぎる。 この公園にはしゃれた建物があり、立ちよっている人が多い。 何故富士見ヶ丘というのかと考えながら通り過ぎる。 そうだ、晴れた日には利尻富士が見えるのだろうとふと気づいた。勿論今日は見えない。 さらに南下して、みさき台公園というところで休憩した。 ここにも温泉がある。そして天文台が丘の上に見える。ここがセロー乗りが言っていた所なのだと分かった。 公園はきちんと整備されており、今日も道ばたの雑草を刈る人がいて、きれいに整えられている。 アプローチの両側にはずっと紫陽花が植えられていて、今が花盛りであった。 「豊岬」というらしく、キャンプ場や小さな港などが見える。 小学生の群れが先生と一緒に海岸の堤防から網を提げて上がってきた。 網の中には潜って捕った獲物が入っている。 タバコを吸っていると、男の人が「日本一周しているんですか?」と訊いてきた。 この公園はこぢんまりしているが、なかなか気分のいい岬だった。 さらに南下し、羽幌サンセットビーチで休憩した。 色とりどりのバラの花が一面に咲いている。 名古屋から来たというライダーと話した。その人が食べていた「いももち」というのが美味しそうだったので食してみた。 200円。ジャガイモで作ってあるというが、適度に粘りけがあり、柔らかい。 砂糖醤油を付けている。とても美味しかった。 休んでいるとまた雨が降り始めた。 一度脱いだカッパをまた着込んで出発した。 苫前というところにも温泉がある。入ろうかと思い、寄ってみたが、ここも駐車場はいっぱいだった。 どうしてこんなに暇な人が多いのだろうと少し腹が立った。 人のことは言えないけど。すぐに引き返し、少し先を左折して国道239号を走る。 ここからは山の中。路面が濡れている。 霧立国道と名前がついている。多分この道はいつも霧が深いのだろう。 霧立峠を越え、観月国道へ。風流な名前である。添牛内というところで左折して国道275号へ。 朱鞠内湖に寄ってみることにした。この湖は日本最大の人工湖と書いてある。 蕎麦が名物らしく、湖畔には蕎麦屋がある。 275号に入るとすぐに一面に蕎麦畑が広がっている。その畑の横で靴を脱ぎ、靴下を脱いでしばらくくつろいだ。 朱鞠内湖は静かだった。平日でもあり、キャンプ場やロッジにも人影はない。 これで経営は成り立っているのだろうかと疑わしいほどだ。 ここでまた昼寝をしようと思い、湖畔の芝の中で寝転んだ。 しかしすぐに強烈な腹痛が襲ってきた。トイレを探し急いで走って行った。 用を足し終えると、眠気が去っていた。 マップルで確認すると、朱鞠内湖の北側に日本最低気温を記録したモニュメントがあると書いている。 行ってみようと思い、275を北上した。しかしまた雲行きが怪しい。 どうしようかと迷い始めたところに「士別」方面の標識が見えた。 その標識に従って右折した。温根別というところで239号に合流。 西士別峠を越え、士別市内へ。今日泊まる所である。 市内のスタンドで「サイクリングターミナル」の所在を訊く。 サイクリングターミナルは「つくも水郷公園」の中にあった。 広々とした水辺の公園である。 キャンプ場や宿泊施設が整い、「合宿の街」というのが頷ける。 サイクリングターミナルは以前は士別市が経営していたらしいが、今は第三セクターに経営を移譲している。 職員は親切であった。 幸いなことに丁度今朝まで合宿していたグループが引き上げて、今日の泊まり客は私だけだという。 相当広い施設にたった一人。夜中は気味が悪いのではないかとちょっと心配になった。 夕食は予約していなかったので、バイクで買い出しに出かけた。 帰ってきて一人で宴。 早めに寝ようと思ったが、キャンプ場で歌合戦というか、応援合戦というか、 要するにキャンプファイヤーが始まった。 スピーカーで拡大された音声が耳をつんざくほどにぎんぎんに響く。 眠るどころではない。知らない歌を大声で聞かされることほど不愉快なことはない。 小1時間ほども続いた。それが終わると外を歩く女学生たちのけたたましい笑い声が響いてくる。 公園内にある小さな湖の方に向かっている。雨が降ればいいのにと思う。 眠れないのでもう一度風呂に入った。しんと静まりかえった大きな風呂に一人で入るのはあまり嬉しいものではない。 それでも我慢して腰を温めた。 ドラマの途中から見たり、本を読んだりして、結局寝たのは、11時半ごろだった。 風が強くなり、雨が降り始めた。 6時前に起床。しばらくぼんやりとテレビを見る。 天気予報では朝のうちに雨は上がるらしい。 しかし路面は濡れている。空も暗い。 今日もカッパを着て走り始めなければならないようだ。 ただ雨は上がっているので、カッパは下だけで済みそうだ。 7時に食事だったが、私一人のために調理員さんが来ているらしく、何となく申し訳なかった。 広い食堂で一人で朝食を摂るのは寂しかった。 期待以上にご飯は美味しく、ホッケの開きまでついていた。 これで3千いくらかというのは安いと思った。 今日も水浸しの中を走る。 今晩泊まるのは美瑛。そこまで真っ直ぐ南下すると旭川を通らねばならない。 面白くないので、少し距離はあるが、層雲峡から大雪湖、糠平湖、然別湖と足を延ばし、 狩勝峠を越えて富良野、美瑛というコースを選んだ。 「今日も雨」と家にメール。 士別から愛別まで高速に乗った。30キロくらいだろうか。 すれ違った車は1台だけだった。 鳶やカラスが高速道の上で戯れている。車を恐れない。こちらの方が恐ろしい。 餌もないのにどうしてだろうと思った。 愛別から大雪国道へ。車は多いが快調に飛ばすことができる。 途中のセイコーマートでコーヒーとシュークリームを食す。 層雲峡の駐車場に入る道を間違え、ちょっと先まで行って引き返そうとすると、見たことのあるW1とすれ違った。 船長の家で会ったライダーだった。もちろん傘は差していなかった。 すぐに追いかけたが気が付いた様子もなかったので、諦めて層雲峡に引き返した。 何度も北海道に来ているらしいので、層雲峡にも寄らないのだろう。 駐車場の上の方にケーブルがあり、それに乗って行くらしい。 どうしようかと迷った。小1時間は掛かるだろう。考えているうちに、また猛烈な腹痛が襲ってきた。 駐車場の案内板でWCを探す。 どうもそのスケールを読み違えていたらしく、WCに突くまでに5分もかかった。 何とか間に合って用を足したら、層雲峡を見る気持ちが失せてしまった。 結局WCに行っただけで、出発。大雪ダムの所を右折して273号へ。 糠平国道と呼ばれている道を糠平湖畔へ。糠平湖が見え隠れするが、展望は開けない。 さらに右折して、登りの道を然別湖方面に進む。 細くてクマザサが道にはみ出している。冬季は通行止めになるらしい。 途中山田温泉という鄙びたログハウス調の建物があった。 然別湖に近づくと道の幅は更に狭くなり、一車線である。 おまけにくねくねと曲がっており、路肩に罅が入っている。 対向車が来たらどうしようと思いながら何キロか走ると、突然展望が開けた。 ホテルやレストラン、観光船乗り場まである。そこで休憩。写真を撮った。 ベンチに寝転んで見上げると、青い空が私を見下ろしている。 北海道に上陸して初めてのきれいな青空だ。思わずカメラを上に向けて撮影。 道道85号を更に南下し、扇が原展望所で休憩。 眼下に広々とした景色を眺める。 道道85号が国道274号と交差している所を右折し、細い道を屈足の方へ。 新得というところを目指す。 新得からは国道38号。十勝国道狩勝峠へ。ずっと登りの道だ。 この道には「狩勝峠○合目」という表示がある。 三合目くらいまで上った時、トラックに前を塞がれた。 七合目まで付いて走ったが、息苦しいほどの黒煙を浴びる。 七合目で止まり、ついでに写真を一枚撮った。 狩勝峠でコーヒーを買う。そこにも「いももち」があったので、昼食代わりに食べた。 この峠からの展望もなかなかいい。東屋のベンチに腰を下ろし、しばらく景色を眺め続けた。 もうこのまま帰ってしまおうかと考えた。 富良野や美瑛には一度来ている。それほどの感動も覚えないだろうと思う。 金山方面に行き、国道237号を南下すれば苫小牧方面だ。 フェリーは夜中の出発だから、十分間に合う。 一日早くフェリーに乗れば、一日早く帰り着く。当たり前のことである。 ここで切り上げても納得できる旅をしたと思う。 そう思いながら出発したが、どうしても「五郎の家」だけはこの目で見ておきたかった。 見てから引き返し、たとえ夜になっても国道235号まで出れば、一度走った道だから、 東港まで迷うことはないだろうと思った。 狩勝峠を下りきった所から「麓郷」に向かう。 麓郷は言うまでもなく「北の国から」の舞台。 3年前にツアーで富良野を通った時、「麓郷」方面の標識を見て、次には是非来たいと思っていた。 このドラマは最初の放映では見ていなかったが、続編を見るうちに最初から見直したいと思ってビデオを借りて見た。 年を取ると涙脆くなるのであるが、見ているうちに何度も涙がこみ上げる場面があった。 その舞台を見たいと思っていた。 「五郎の家」には観光客が溢れていた。 駐車場は砂利が敷き詰められ、それも深い。バイクを止めるところは斜面になっていて、ずり下がりそうである。 何とか一番右側に止め、未舗装路を5分ほど歩くと、林の向こうに展望する所が見えてきた。 そこに上がると石の家が見えてきた。家の前の柵の中で羊が一頭草を喰んでいる。 以前はそれ以上は入れなかったらしいが今は入場料200円也で中に入れる。 富良野観光協会というところが徴収していたが、結構な収入になるだろう。 中に入り、石の家を見た。木の家はドラマの中では焼失したことになっているが、 「麓郷の森」の方に移設されて現存するらしい。 石の家は思ったよりもずっと小さかった。 架空の物語ではあるが、その中に込められた人間的な真実ゆえに、 この家にも濃い生活臭が残っているように感じる。 そういえばこの台所で誰かが炊事をしていたとか、この風呂の場面もあったとか、 しみじみと思い浮かべながら散策した。 石の家を携帯の写真に収め、女房にメールで送った。返事が来なかった。 富良野方面へ走り始めると、また腰痛が激しくなった。 用意してきていた湿布は使い果たしていた。 ドラッグストアは大きな町にしか見かけなかった。 幸いなことに少し走ると大きなドラッグストアがあった。 サロンパスと湿布薬を買い、便所に駆け込んで貼る。 もう4時を過ぎていた。どうしようか迷った。 美瑛までは1時間。苫小牧だと3時間以上だろう。腰痛を抱えたまま走る気にはならなかった。 ともかく早く美瑛に着いて風呂に入って腰を温めたいと思った。帰るのは明日にしよう。 それにしても女房からの返事がないのが気に掛かる。 何かあったのだろうか。そんなことを考えながら走っていると、「ぜるぶの丘」というところに着いてしまった。 ここは3年前女房とツアーで来た時に見学した所だ。 その時のことを思い出す。来年はまた一緒に来たいという切実な思いがこみ上げてくる。 美瑛ポテトの丘ユースは柔らかな緑の続く丘の上にあった。 ここを予約するときにいろいろうるさく言われたことを思い出す。 バイクは専用のコンクリートを敷いてある所に止めてくださいとか、 喫煙は決められた所以外ではしないでくださいとか・・・。 到着して自転車などを収納している建物の奥にバイクを止める。 ほっとして煙草を吸っていると、BMのGSに乗ったライダーが入ってきた。 この敷地は全部禁煙ですよと教えてくれる。この駐車場もですか、と訊くとそうだと答える。 どうしてですかと訊くと、こんなきれいな空気を汚すような行為をするような人は来なくていいという考えなんじゃないですか、 と答える。いやな所に来たと思った。 そんなことを聞いただけで息が詰まりそうだ。 確かに広い畑や林の中にあり、吸い殻をぽい捨てすると火事になるかもしれない。 だが空気を汚すというなら、このユースで炊事をしたり風呂を沸かしたりすることの方がよほど空気を汚すのではないか。 もし本当にここの空気を大切にしたり、環境を守ろうとするなら、誰も立ち入らせないようにするべきだ。 つまりこんなユースなど建てない方がいいのだ。 私のバイクには灰皿代わりの缶を留めるホルダーを付けている。 マナーをきちんと守れば、煙草を吸うくらいいいではないかと思う。 まあ今夜は我慢だと思いながら手続きを済ませ、部屋に荷物を置く。 さっきのライダーと同じ部屋のようだ。 食事の前に風呂に入ると、八戸から来たという人が入ってきた。 青森県のことをいろいろと話す。大間のマグロのこと、八戸漁港のこと、ネブタとネプタ。 いろいろな所から来ている人と話すのは楽しい。入浴後カメラを持って外に出、周囲の風景を撮った。 煙草は食堂のすぐ横にテーブルと椅子が2つある所で吸うようになっていた。 喫煙出来る時間は朝7時から夜11時半までと書いてある。 上には換気扇が付いているが、そこで吸えば食堂に臭いは漂う。 換気扇で外に出すことと外に喫煙場所を作ることとどこが違うのだろうと思った。 建物の裏は広いのに。その点、とうろユースは良かったと思う。 7時に夕食が始まった。始まるとすぐにオーナーという人がやってきて、大きな声で話し始めた。 この風景は農家の人たちが長い年月をかけて作り上げたものだから、 私たちはそこに入らせていただいているという気持ちで過ごして欲しいというような趣旨のことを長々としゃべる。 確かにそれはそうだろう。しかしそんなことはパンフレットに書いているし、 食事の時に横に来て長々と大きな声で言わなければならないことだろうかと思った。 あまり美味しくない食事がなおさら不味くなる。 5分で食事を済ませた。まだまだ話は続きそうだった。 階段を上がるとギャラリーがあって、オーナーの撮った写真が展示してあった。 何の感動も与えない写真をよく平気で並べるものだと思った。 何に対しても腹立たしい思いがする。 上に書いたような思いも、腹を立てるようなことでもないのかもしれない。 素直に受け止めれば、当たり前のことを言っている。 煙草の件も妥協できるところを探ってそのようにしたのだろう。 食事の時に横に来て自分の考えを知って貰おうとするのも、 この風景を守るために自分の出来ることをやろうとする意思の表れだろう。私は疲れているのだろうと思った。 疲れると他人の言葉が耳に入らなくなる。素直さがなくなる。 早く寝ようと思い、歯を磨いていると携帯が鳴った。父からだった。 夕方5時頃、妻が救急車で運ばれて入院したと言う。 検査の結果、今までの状況と特に変化はないが、少し脱水症状を起こして気分が悪くなったようだという診断だったそうだ。 こんなことなら無理をしてでも今日のフェリーに乗るべきだったと思う。 見るべき所は見たし、一日でも早く帰ってやりたかった。 続く・・・ |