北海道ツーレポ(襟裳の夏は) ウトナイ湖ユースは苫小牧の市内にある。 名前のとおり、ウトナイ湖という湖の際にある。 昨夜大雨の中を辿り着いた時、バイクのライトに猛烈な虫の襲撃があった。 それらの虫の発生源がその湖であるのだろう。 6時前に目覚めて、湖の周囲を少しだけ散歩する。 一羽の大きな鳥が飛び立った。 白鳥が飛来する所と書いていたが、白鳥ではなかった。 水も濁っていて、全く爽快感はない。 雨のせいだろうか。平地にあるためか、全く眺望は利かない。 さすがに気温は低く、Tシャツに短パンでは寒い。 部屋に引き返してシャツを羽織り、ジーンズに換える。 バイクを止めてある所に行き、カバーをめくる。 カバーの下から虫が飛び出した。 予想以上にバイクが汚れている。どこかで洗いたいと思う。 幸いなことに、サイドバッグの中には全く水は入っていない。 部屋に帰り、荷物を整理していると、二人も起きて身支度を始めた。 雨も止んでいるし、早々に出発したかった。 いつでも雨に遭っていいように、最初からバッグ類にはカバーをかける。 衣類はまとめて雨に濡れてもいいバッグに収める。 素泊まりだから朝食の時間は待たなくていい。 北海道をツーリングする場合は、夕食は用意してもらって、朝食なしというのが一番フリーに走れる。 目的地が遠い場合は、起きてすぐ出かけられる時間の余裕を確保するために、朝飯はコンビニで済ますのが一番いい。 ただし、何十キロもコンビニがない場合もある。 町があれば一つはセイコーマートというのがあると思えばいい。 ツーリングマップルには全てその位置が記されている。 7時に出発した。今日の目的地はえりも岬である。 道雪さんを先頭に走る。 昨夜の道も、明るくなって走ると、それほど難しい道とは思えない。 市内の道でもまっすぐに延びているし、落ち着いて見れば標識もある。 幸い道も乾いており、快調に飛ばすことが出来た。 ササカワさんに気を遣いながら、走る。 道雪さんとは門別で分かれることになっていた。 彼は帯広方面に走り、林道を走り、温泉に入るという。 8月1日にサロマ湖で会うことを約束して彼は左折していった。 改めてありがたいと思った。 昨夜の先導が無ければ、今日こうして無事に走れていたかどうか怪しいものである。 道雪さんと分かれ、私たちは国道235号をひたすら東へ走る。 この国道沿いはサラブレッドの飼育地として知られている。 右を見ても左を見てもサラブレッドが囲いの中で草を喰んだり、走ったりしている。 有名な競走馬を排出した牧場の看板も見える。 競馬好きにはたまらない土地だろうが、私は全く興味がないので、馬に目を奪われることはなかった。 今日の走行予定距離は短い。このまま行けば昼過ぎには襟裳岬に着いてしまう。 のんびり走ろうということで、途中、温泉に寄ることにした。 三石町というところにある三石温泉で昨日の汚れを落とし、のんびりした。 この温泉は湯の色が茶色。少しぬるぬるしている。 暑くもなくぬるくもなく、心地よい。 また、崖の上に建っており、浴場の下は海である。 やっと北海道に来たという実感が湧いてきた。 温泉を出て、駐車場で写真を一枚撮り、再出発。 それでもまだ時間が早いので、直接襟裳岬には行かず、天馬国道を走って一度広尾町に出て、 豊似というところで襟裳岬方面に引き返すというルートを取った。 天馬国道はすべて山の中である。 北海道で出会った最初の山岳道路という感じで、道は天に向かって延びているごとくである。 カーブは少ない。思い切りアクセルを開けられる。 この道の周囲にも数多くの牧場がある。 牧場が繋がっているといったほうがいいだろう。 牧場と牧場の間の道を走る。 途中のパーキングで一休みし、写真を撮る。 ここを走っている時に気づいたのだが、どんな小さな橋にも、そのたもとに橋の名前の標識がある。 本当にどんな小さな橋にでも、だ。 北海道の人はそんなにも橋を愛しているのだろうかとか、 一つの橋を架けるということの苦労に報いるために、一つ一つの橋に名前を付けたのだろうかとか、 いろいろ考えながら走った。 しかし、橋の名前が難しい。 あれは何と読むんだろうとか考えながら走るのは危ない。 その後も北海道を走っている間中、地名が書いてある標識に出くわす度にバイクのスピードを落として、 その下のローマ字を読む癖が付いてしまった。 天馬国道の下りにかかった辺りで前をトラックに塞がれてしまった。 私一人なら無理をしても追い越すだろうが、 遙か後方を従いてくるササカワさんの技量が分からないので、 排気煙を浴びないように、トラックから距離を置いて走った。 豊似で右折して広尾方面に走る。 ここはかなりの町らしく、交通量も多い。 少し腹も減ってきたので、目に付いた「広尾シーサイドパーク」へ入り、レストランへ。 ここには海中公園もあるらしく、家族連れも来ているが、何となく寂れた印象は否めない。 レストランは2階にあり、海が見える。 波は穏やかで、北海道の海というイメージはない。 ここでみそラーメンを食べる。九州で食べる札幌ラーメンと変わらない。 ということは、わざわざ北海道でみそラーメンを食べる必要はないということだろう。 今日は女房が再度検診を受ける日である。 もう病名もはっきりしているだろうと思い、メールを入れた。 すぐに返事が来た。もう一度8月9日に精密検査をして治療方針が決まるということであった。 私が九州にいれば、8月2日に検査日程が組めたそうである。 このまま帰ってやろうかと言うと、 今日明日に検査をしなくてもいいということは、切迫しているということではないから、 最後まで予定通り走ってきていいよ、と言ってくれる。 そうは言われても、ここから引き返すべきなのじゃないかという思いが沸々と湧いてくる。 毎日連絡を何度も入れながら、様子によってはすぐに引き返す。 そう決めて襟裳岬に向かった。走りながら、一緒に来たかったと何度も何度も思った。 黄金道路に入る。 この道はツーリングGOGOという雑誌の読者投票で北海道の6位に入っている道である。 海際の道路で間近に波が寄せる。 黄金を敷き詰めるくらいに建設に金がかかったのでその名が付いたらしい。 右側は崖、左側は海。海の景色は山口県の豊浦辺りの海岸に似ている。 覆道と呼ばれる片側に窓の開いたトンネルがたくさんある。 トンネルの中は濡れている。 途中に工事中で待たねばならない箇所があり、待ち時間最長20分と書いてあった。 えっ、と思う。またこの道は夜中は通行止めになるらしい。 その事情は次の日に工事現場の交通整理員に聞いたのだが、 道が崖崩れで通れなくなり、工事中のトンネルの半分を急遽通れるように整備して、 片側通行で車を通しているということであった。 明日もここを引き返すことを思うと、少々うんざりしたが、今日は運良く5分ほどで通れるという。 黄金道路の建設記念碑の所で休憩を取り、写真撮影。路傍の小さな花も撮した。 庶野というところから道道34号に入る。左側に伸びやかな砂浜が見えてくる。 「百人浜」という渚で、「渚百選」に入っているという。 晴れていれば本当に素晴らしい砂浜と海だろうと思いながら襟裳に向かう。 岬の入口でガソリンスタンドを見つけたので、補給のために立ち寄る。 しかしハイオクは置いてなかった。店員が親切にハイオクを置いているスタンドを教えてくれる。 スタンドのある所は襟裳の市街にあるらしい。まず襟裳岬を見てからそちらに回ることにした。 駐車場にバイクを止める。 道外のナンバーをつけたバイクが何台も止まっている。 バイクを下りてなだらかな坂を上る。坂道の左手に奇妙な建物がある。 風の館と書いてある。 この辺りは常に風が強いらしく、それを売り物に風速何十メートルという風を体験させてくれるらしい。 九州に住んでいれば、一年に数回は風速30メートル近い風をいやでも体験させられる。 わざわざここでそんな体験をする必要はないと思いながら岬へ。 空は晴れている。展望台から眺める海には霧が生まれていた。 夏場は特に霧が懸かりやすいという。冷たい海流に南からの暖かい空気が触れて霧が発生するらしい。 エリモという名前は岬から海に向かって列をなしている岩が「ねずみ」に見えるので名付けられたという。 エリモとはアイヌ語でねずみのことだと後から聞いた。 その岩々を見る見るうちに霧が覆っていく。見えなくなる前にと思い、写真を撮る。 襟裳岬の春は何もないと言う歌があるが、夏の岬は観光客でにぎやかだ。 落ち着いて物思い出来る場所ではない。 ここに来たという証拠写真を撮ったあと、 ガソリン補給のために襟裳の街まで行き、スタンドでユースの場所を聞いた。 何のことはない、最初にガソリンを入れようとしたスタンドのすぐ近くだった。 今はユースではなく、民宿になっていた。 ユースホステル協会には入っていないから、正式にはユースとは名乗れないのだろうと思った。 ユースは30年以上も前に建てられたらしく、壁に貼られていた写真にもその時代が感じられる。 特に面白かったのは、連泊記録を作った若者達の部屋が「サルマタケの部屋」と呼ばれていたことだ。 ちょうど私が学生のころに流行った漫画に「男おいどん」というのがあった。 松本零二の作品だ。押入に押し込めた洗わないままのパンツから生えるキノコの名前がサルマタケ。 そこに写っている男女の風俗もその時代そのままだ。 この人達はいまどうしているのだろうと、感慨に耽った。ちょうど50代の半ばのはずである。 北海道に住み着いている人にはさまざまな人がいる。 もともと北海道は開拓民によって切り開かれたのであるから、あちこちから来ているのは当たり前だが、 こういう宿を経営している人たちは比較的新しくそこに住み着いた人が多いように思った。 えりもユースのオーナーは福岡の人である。 庭に福岡ナンバーのバイクが置いてあったから、本当に最近ここのオーナーになったのではないかと思った。 ヘルパーとして働いている人も三重県かどこかの人だった。 オーナーの兄さんという人も5月からこちらに来て、草刈りや農作業の手伝いで 生活費を稼いでここに滞在しているということであった。 このユースの他では、中標津の地平線というところの主人は徳島の人だったし、 知床ボンズホームというところのオーナーも大阪の人であった。 今の時代、広大な土地を手に入れて農業を新たに始めるのはなかなか困難なのだろう。 北海道では50町歩の土地がないと農業経営は難しいという話を聞いた。 それゆえ新たに北海道に住み着いて、現金収入を得る道として宿を経営するという道を選ぶ人は多いのではないか。 海の霧が襟裳岬を包んでくる。 宿に落ち着いた頃には岬はすっかり霧に覆われていた。 このまま夜に亘って霧が濃くなれば、明日の朝は先が見えないだろうと思いつつ、バイクにカバーを掛ける。 ユースとはいうものの、すぐ横が食堂というか、カフェというか、 そういう造りになっていて、一般の人も受け入れるようになっている。 ビールの自動販売機が据えてある。早速秋味というのを飲む。無事に襟裳岬に着いたことをメールで送る。 ランドリーもあるので、洗濯しようとも思ったが、まだまだ着替えはあるので止めた。 今回泊まった所には全てランドリーがあった。 洗濯200円、洗剤は別売り。 一回分ずつパックになった洗剤を持っていくのが一番いいようだ。 乾燥機1回100円。1回では乾かない。 泊まり客は全てライダーだった。といっても4人だけだった。 私とササカワさん、宮城県の青年。zrxに乗っている。もう一人は宇都宮のライダー。 68歳ということであった。ドラッグスターに乗っている。 夕食はなかなか美味しかった。特に北海道の名産というのはなかったが、 心がこもった料理という感じがした。 4人の他に、もう5月から居続けているという年輩の人がいて、 滞在費はあれこれで稼ぎながら、10月までいるという。 その人があちこちの川で釣った山女と岩魚の塩焼きを提供してくれていた。 車で川沿いに入り込み、毛針で釣るらしい。 人が知らないポイントを数多く知っているらしく、10人分でも20人分でも大丈夫だと言っていた。 調理もその人がするようだ。 その人はオショロコマを釣り、そのしっぽを北大の先生に提供しているという。 ホルマリンに漬けたしっぽを見せてくれた。 北大の研究者が、しっぽの遺伝子を調べて、その系統を研究しているらしい。 世の中にはいろいろなことをしている人が多い。 当たり前のことだが、目の前で見ないと実感できない。 68歳のライダーは息子のドラッグスターを借りて北海道にやってきたらしかった。 大洗からフェリーに乗り、朝苫小牧に着いて、そのままこちらに駆けてきたらしい。 気ままに行きたいところに行く。その精神の有り様とそれが出来る境遇と健康。 私もその年になってもそうありたいと願う。 ライダーウェアなんてしゃれたものは着ていない。下はジャージだった。 危ないという感覚はないのだろうかとも思ったが、それはそれでいいのかもしれない。 その人は夕張で青春時代を過ごしたという。 炭坑がまだ華やかに栄えていた時代なのだろうか。炭坑が閉山になるとともに東京に出たらしい。 北海道には親戚がおり、そこも訪ねるつもりだという。 昨夜は落ち着かない一夜だったが、この宿でようやく落ち着いた。 空いていたので部屋は2人だけ。 テレビを見ながらササカワさんとしばらく話し、9時頃に就寝。天気はどうも下り坂のようであった。 続く・・・ |